十万分の偶然
十万分の偶然
2012年作
モンゴルの平原で取材を続ける
フリーのルポライター・山内正平のもとへ、
一人娘・明子の婚約者・塚本暁から思わぬ悲報が届いた。
妻が亡くなって以来、男手ひとつで育ててきた明子が、
入院中の叔母・恵子を見舞うために横浜から沼津へ向かう途中、
東名高速道路で玉突き事故に巻き込まれて死亡したのだ。
しかも取材で遠出をしていた正平がその知らせを受けたのは、
事故から実に1カ月が過ぎた後のことだった…。
かくして、正平は急きょ帰国することになった。
ところが帰路の機内で、正平は一枚の写真を目にすることとなる。
娘が亡くなった事故の瞬間を偶然捉えたというその写真には、
無情にも娘の最期の姿が写し出されていた。
娘はなぜ死ななければならなかったのか――帰国した正平はもはや、
そのこと以外考えることができなかった。
2012年作
モンゴルの平原で取材を続ける
フリーのルポライター・山内正平のもとへ、
一人娘・明子の婚約者・塚本暁から思わぬ悲報が届いた。
妻が亡くなって以来、男手ひとつで育ててきた明子が、
入院中の叔母・恵子を見舞うために横浜から沼津へ向かう途中、
東名高速道路で玉突き事故に巻き込まれて死亡したのだ。
しかも取材で遠出をしていた正平がその知らせを受けたのは、
事故から実に1カ月が過ぎた後のことだった…。
かくして、正平は急きょ帰国することになった。
ところが帰路の機内で、正平は一枚の写真を目にすることとなる。
娘が亡くなった事故の瞬間を偶然捉えたというその写真には、
無情にも娘の最期の姿が写し出されていた。
娘はなぜ死ななければならなかったのか――帰国した正平はもはや、
そのこと以外考えることができなかった。
3.11その日石巻で何が起きたのか ~6枚の壁新聞~
3.11その日石巻で何が起きたのか
~6枚の壁新聞~
――2011年3月11日。宮城県・石巻市。
濁流は、石巻にある小さな新聞社・石巻日日新聞にも襲い掛かりました。
社屋は水に浸かり、輪転機も水没、そして電力の途絶・・・
この状況で新聞など出せるはずもありませんでした。
交通機関も遮断され、携帯電話もつながらない。
余震に次ぐ余震、繰り返される大津波警報。
孤立無援、完全に外界と隔絶されたこの街で、人々は情報パニックとなりました。
“情報”が欲しい…家族のために…
生きるために、今、ここ石巻で必要な情報が・・・
その時、新聞社のリーダー・近江社長が言いました。
「わかることだけでいい!手書きでいこう」
これに応えたのが、石巻日日新聞の記者たちだったのです。
こうして世界でも例を見ない手書きの壁新聞が作られる事となりました。
フェルトペンで書かれたこの壁新聞は、6日間だけ発行され、
現在「ジャーナリズムの聖地」、アメリカ・ワシントンD.C.の
「報道博物館」(NEWSEUM) に永久展示されています。
~6枚の壁新聞~
――2011年3月11日。宮城県・石巻市。
濁流は、石巻にある小さな新聞社・石巻日日新聞にも襲い掛かりました。
社屋は水に浸かり、輪転機も水没、そして電力の途絶・・・
この状況で新聞など出せるはずもありませんでした。
交通機関も遮断され、携帯電話もつながらない。
余震に次ぐ余震、繰り返される大津波警報。
孤立無援、完全に外界と隔絶されたこの街で、人々は情報パニックとなりました。
“情報”が欲しい…家族のために…
生きるために、今、ここ石巻で必要な情報が・・・
その時、新聞社のリーダー・近江社長が言いました。
「わかることだけでいい!手書きでいこう」
これに応えたのが、石巻日日新聞の記者たちだったのです。
こうして世界でも例を見ない手書きの壁新聞が作られる事となりました。
フェルトペンで書かれたこの壁新聞は、6日間だけ発行され、
現在「ジャーナリズムの聖地」、アメリカ・ワシントンD.C.の
「報道博物館」(NEWSEUM) に永久展示されています。
3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実
戦場のメロディー
戦場のメロディー
昭和26年(1951年)1月19日深夜──
元日本兵の一斉処刑が秘密裏に行われた。
家族はおろか、日本政府にも知らされることなく行われた極秘死刑。
異国の地の死刑台に虚しく響いた祖国に見捨てられた男たちの無念の叫び──
それは、焼け野原からの復興に沸く日本には届かなかった。
日中戦争からはじまり、太平洋戦争、そして全世界へと拡大した第二次世界大戦。
10年近くにも及んだ戦いについに敗れ、絶望の焦土と化した日本は、
数年の歳月を経て、戦中・終戦直後の飢餓から少しずつ抜け出そうとしていた。
あの忌まわしい戦争の記憶を遠い過去に押しやり、
人々は生きる希望をやっと取り戻しはじめていたのだ。
しかし渡辺はま子は、華やぎを取り戻した芸能界に身を置きつつも、
心の奥底に暗い影を落としていた戦争の傷跡から目を逸らすことが出来ずにいた。
子供の頃からの夢が叶い、歌手となったはま子を待ち受けていたのは戦争だった。
従軍歌手として歌を武器にして共に闘ったはま子は、
万歳三唱で戦地へと送り出した兵士たちを、忘れることができなかった。
その後悔の念から、はま子は戦後、歌手活動も顧みず、傷病兵収容所や巣鴨刑務所に慰問に訪れていた。
昭和26年(1951年)1月19日深夜──
元日本兵の一斉処刑が秘密裏に行われた。
家族はおろか、日本政府にも知らされることなく行われた極秘死刑。
異国の地の死刑台に虚しく響いた祖国に見捨てられた男たちの無念の叫び──
それは、焼け野原からの復興に沸く日本には届かなかった。
日中戦争からはじまり、太平洋戦争、そして全世界へと拡大した第二次世界大戦。
10年近くにも及んだ戦いについに敗れ、絶望の焦土と化した日本は、
数年の歳月を経て、戦中・終戦直後の飢餓から少しずつ抜け出そうとしていた。
あの忌まわしい戦争の記憶を遠い過去に押しやり、
人々は生きる希望をやっと取り戻しはじめていたのだ。
しかし渡辺はま子は、華やぎを取り戻した芸能界に身を置きつつも、
心の奥底に暗い影を落としていた戦争の傷跡から目を逸らすことが出来ずにいた。
子供の頃からの夢が叶い、歌手となったはま子を待ち受けていたのは戦争だった。
従軍歌手として歌を武器にして共に闘ったはま子は、
万歳三唱で戦地へと送り出した兵士たちを、忘れることができなかった。
その後悔の念から、はま子は戦後、歌手活動も顧みず、傷病兵収容所や巣鴨刑務所に慰問に訪れていた。
ジロチョー清水の次郎長
白旗の少女
さくら道
そうか、君はもういないのか
そうか、君はもういないのか
作家の城山三郎(田村正和)と妻の容子(富司純子)は海辺の街で穏やかな生活を送っていた。
息子の有一(田中哲司)一家は米国で仕事をしているが、
鎌倉に嫁いだ娘の紀子(檀れい)は何かといっては両親のもとにやってくる。
三郎と容子がここ茅ヶ崎に移り住んだのは、昭和32年の大晦日。
新人賞をもらったばかりの三郎は、「故郷の名古屋にいるとダメになる」と、
わざわざ見知らぬ土地にやってきたのだった。
夜逃げだと噂されながらも一家はこの地に馴染み、
三郎は次々と小説を発表し続けた。
そんなある日、平和な日々が破られる時がやってきた。
体調が思わしくないと精密検査を受けた結果、容子の身体からガンが発見された。
三郎はどんな方法でも試して欲しいと医師に望むが、
容子は手術や抗がん剤を拒み、通院して治療したいと主張。
作家の城山三郎(田村正和)と妻の容子(富司純子)は海辺の街で穏やかな生活を送っていた。
息子の有一(田中哲司)一家は米国で仕事をしているが、
鎌倉に嫁いだ娘の紀子(檀れい)は何かといっては両親のもとにやってくる。
三郎と容子がここ茅ヶ崎に移り住んだのは、昭和32年の大晦日。
新人賞をもらったばかりの三郎は、「故郷の名古屋にいるとダメになる」と、
わざわざ見知らぬ土地にやってきたのだった。
夜逃げだと噂されながらも一家はこの地に馴染み、
三郎は次々と小説を発表し続けた。
そんなある日、平和な日々が破られる時がやってきた。
体調が思わしくないと精密検査を受けた結果、容子の身体からガンが発見された。
三郎はどんな方法でも試して欲しいと医師に望むが、
容子は手術や抗がん剤を拒み、通院して治療したいと主張。