3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実
五稜郭
五稜郭
から120年前の慶応4年、ここで戦いがあった。
徳川260年の幕藩体制を壊滅させた維新の戦いは戊辰戦争をもって終結したわけではなかった。
事実は、この蝦夷地に諸外国も認めた一つの政権が誕生し、
それを制圧して維新の大業が完成を見るには、
翌明治2年の夏まで待たなければならなかったのである。
当時その男達は夢を見た。
鳥羽伏見の戦いで始まる戊辰の戦いで敗れた一握りの幕臣たちは見果てぬ夢を追った。
我々にはまだ蝦夷がある。
蝦夷には広大な新天地がある。
ある者は武士としての意地から、ある者は新政府に対する批判から。
その男達は様々な思いを秘めて一隻の船に夢を託した。
その船の名を開陽丸といい、北斗の星にも似た彼らの夢の城を五稜郭といった……
から120年前の慶応4年、ここで戦いがあった。
徳川260年の幕藩体制を壊滅させた維新の戦いは戊辰戦争をもって終結したわけではなかった。
事実は、この蝦夷地に諸外国も認めた一つの政権が誕生し、
それを制圧して維新の大業が完成を見るには、
翌明治2年の夏まで待たなければならなかったのである。
当時その男達は夢を見た。
鳥羽伏見の戦いで始まる戊辰の戦いで敗れた一握りの幕臣たちは見果てぬ夢を追った。
我々にはまだ蝦夷がある。
蝦夷には広大な新天地がある。
ある者は武士としての意地から、ある者は新政府に対する批判から。
その男達は様々な思いを秘めて一隻の船に夢を託した。
その船の名を開陽丸といい、北斗の星にも似た彼らの夢の城を五稜郭といった……
霧の火〜樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち
あの戦争はなんだったのか?
あの戦争はなんだったのか?
昭和23年、「あの戦争は何だったのか」を巡り、戦後さまざまな事実が明らかになり、
真実のほんの断片しか見ていなかったことを思い知った新聞記者の吉原政一。
その吉原は日米開戦前夜をもう一度振り返る必要があると思い、
日米開戦まで言論界をリードし、時の政権を裏から見続けてきた人物、
徳富蘇峰への取材を試みる。
昭和6年の満州事変、昭和11年の二二六事件など、
昭和初期の軍部は中国での軍事的成功と、テロの恐怖を背景に、
もはや誰の手にも負えない集団となっていた。
そして昭和16年7月、日本軍による南部仏印進駐に対し、
アメリカは対日石油輸出禁止という厳しい経済制裁をとり、日米関係は一気に緊張する。
当時の陸軍大臣・東条英機はもはや外交交渉では事態は打開できないと戦争を促す。
そして、9月には御前会議で、政府と軍部は、外交がうまくいかなければ、
「日米開戦を決意す」と決定してしまう。
一方、首相・近衛文麿は何とか戦争を回避しようとするが、
政府の力の及ばない統帥権の壁に阻まれ、首相を辞任。
その後、近衛に代わり総理大臣となったのは東条であった。
日米開戦を避けたいと望む昭和天皇が、
開戦派と目された東条に大命を下したのは、
東条なら軍を抑えられると見たからだった。
アメリカからの石油が止まったことで、
軍部の開戦派は長期的な戦争になれば不利になると考え、
国内では早期開戦論が叫ばれるようになる。
そんな中、戦争を避けようとする人物も少数ながら軍の中にいた。
陸軍省軍務局に所属する石井秋穂(阿部寛)もそのうちのひとりであった。
しかし、世論でさえ戦争を欲していたこの時代に、
軍人でありながら和平を模索する石井の存在は奇妙なものであった。
東条内閣発足に伴い、もはやアメリカとの戦争は決定的と思われた。
しかし、日米開戦を望まない昭和天皇の意を体し、
東条は、9月に行われた御前会議の決定を白紙に戻し、
再度日米交渉に取り組むのだが…。
昭和23年、「あの戦争は何だったのか」を巡り、戦後さまざまな事実が明らかになり、
真実のほんの断片しか見ていなかったことを思い知った新聞記者の吉原政一。
その吉原は日米開戦前夜をもう一度振り返る必要があると思い、
日米開戦まで言論界をリードし、時の政権を裏から見続けてきた人物、
徳富蘇峰への取材を試みる。
昭和6年の満州事変、昭和11年の二二六事件など、
昭和初期の軍部は中国での軍事的成功と、テロの恐怖を背景に、
もはや誰の手にも負えない集団となっていた。
そして昭和16年7月、日本軍による南部仏印進駐に対し、
アメリカは対日石油輸出禁止という厳しい経済制裁をとり、日米関係は一気に緊張する。
当時の陸軍大臣・東条英機はもはや外交交渉では事態は打開できないと戦争を促す。
そして、9月には御前会議で、政府と軍部は、外交がうまくいかなければ、
「日米開戦を決意す」と決定してしまう。
一方、首相・近衛文麿は何とか戦争を回避しようとするが、
政府の力の及ばない統帥権の壁に阻まれ、首相を辞任。
その後、近衛に代わり総理大臣となったのは東条であった。
日米開戦を避けたいと望む昭和天皇が、
開戦派と目された東条に大命を下したのは、
東条なら軍を抑えられると見たからだった。
アメリカからの石油が止まったことで、
軍部の開戦派は長期的な戦争になれば不利になると考え、
国内では早期開戦論が叫ばれるようになる。
そんな中、戦争を避けようとする人物も少数ながら軍の中にいた。
陸軍省軍務局に所属する石井秋穂(阿部寛)もそのうちのひとりであった。
しかし、世論でさえ戦争を欲していたこの時代に、
軍人でありながら和平を模索する石井の存在は奇妙なものであった。
東条内閣発足に伴い、もはやアメリカとの戦争は決定的と思われた。
しかし、日米開戦を望まない昭和天皇の意を体し、
東条は、9月に行われた御前会議の決定を白紙に戻し、
再度日米交渉に取り組むのだが…。
ありがとう!チャンピイ ~日本初の盲導犬誕生物語~
ありがとう!チャンピイ~日本初の盲導犬誕生物語~
終戦後まだ混沌としていた時代、塩屋賢一は勤務していた会社が倒産、
また自身も戦時中に患った肺結核が再発したことをキッカケに犬の訓練士になることを決意。
妻の和子(桜井幸子)の心配をよそに、訓練学校を始めると、
金持ちや外国人が犬を預けにやってきて、それなりに繁盛するのだった。
一方、戦時中の病気が原因で若くして失明してしまった河相洌は室内に閉じこもり、
幼なじみの玲子にも心を閉ざし気味になっていた。
その様子を心配した洌の父・達夫は知り合いの外国人家族から
洌の友達にと生後半年のシェパード犬をもらい受けてくる。
犬の競技会でチャンピオンになって欲しいという願いからチャンピイと
名づけられたその犬は、訓練に向かず落ちこぼれていたために洌のもとにやってきたという。
洌がしゃがみ込み「チャンピイ」と名前を呼ぶとチャンピイは洌のもとに駆け寄りじゃれつくのだった。
塩屋賢一 … 高嶋政伸
河相 洌 … 伊藤淳史
山中一枝 … 福田麻由子
河相玲子 … 本仮屋ユイカ
塩屋和子 … 桜井幸子 ほか
命のバトン
命のバトン
主人公、星野京介(小林稔侍)は、元大手レンズメーカーの取締役。
六年前に妻に先立たれてからは都心のマンションで一人暮らしていたが、
故郷の多摩川に移り住もうと引っ越してきた。
穏やかに晴れ渡ったある日、多摩川の欄干の前に立ち、
川の流れを見つめていた京介は有我仁子(南沢奈央)という女子高生と思いがけず出会う。
一見して天真爛漫な仁子だが、学校は不登校中。
そのことが原因で母・真琴(高橋ひとみ)と言い合うことも多くなっていた。
一方、この地で仕事をしながら10歳になる息子を育てている翔子(斉藤慶子)は、
引っ越し作業をしている京介と出会い、京介がかつてレンズを作っていたことを知る。
物づくりをしていたならと、翔子が京介に野菜作りをすすめてみると、
京介は意外にも快諾し、菜園で指導をうけることに…。
主人公、星野京介(小林稔侍)は、元大手レンズメーカーの取締役。
六年前に妻に先立たれてからは都心のマンションで一人暮らしていたが、
故郷の多摩川に移り住もうと引っ越してきた。
穏やかに晴れ渡ったある日、多摩川の欄干の前に立ち、
川の流れを見つめていた京介は有我仁子(南沢奈央)という女子高生と思いがけず出会う。
一見して天真爛漫な仁子だが、学校は不登校中。
そのことが原因で母・真琴(高橋ひとみ)と言い合うことも多くなっていた。
一方、この地で仕事をしながら10歳になる息子を育てている翔子(斉藤慶子)は、
引っ越し作業をしている京介と出会い、京介がかつてレンズを作っていたことを知る。
物づくりをしていたならと、翔子が京介に野菜作りをすすめてみると、
京介は意外にも快諾し、菜園で指導をうけることに…。
いのちの島
疑惑
黒部の太陽
黒部の太陽
敗戦から立ち上がり復興を果たし、高度経済成長を目指す中、
日本全国が絶対的電力不足に悩んでいた。
ついに関西電力、太田垣士郎社長(中村敦夫)は、
黒部川最上流域に日本一のアーチ型ダムを擁する、
黒部川第四発電所建設に着工することを決意。
前人未踏の黒部上流域に分け入り、日本一のダム建設を実現するため、
関西電力は熊谷組を始め信頼できる建設会社を、日本の将来のため、と口説いていく。
ついに未曾有の予算、規模によるダム建設に着工することとなる。
黒四建設という重大任務を託されたのは、
様々な難工事を成功させている滝山薫平(小林薫)だったが、滝山は二の足を踏む。
しかし社長からまでもくどかれた末、黒四建設事務所次長に就くことを決意する。
滝山は、黒部川第四発電所の建設の中でも、
ダムサイト工事現場へ資材を運ぶために北アルプス山中を貫く
大町トンネル掘削工事を任されることとなる。
関西電力は「トンネルの熊谷」とトンネル掘削では輝かしい実績を上げている
熊谷組に大町トンネル工事を依頼する。
敗戦から立ち上がり復興を果たし、高度経済成長を目指す中、
日本全国が絶対的電力不足に悩んでいた。
ついに関西電力、太田垣士郎社長(中村敦夫)は、
黒部川最上流域に日本一のアーチ型ダムを擁する、
黒部川第四発電所建設に着工することを決意。
前人未踏の黒部上流域に分け入り、日本一のダム建設を実現するため、
関西電力は熊谷組を始め信頼できる建設会社を、日本の将来のため、と口説いていく。
ついに未曾有の予算、規模によるダム建設に着工することとなる。
黒四建設という重大任務を託されたのは、
様々な難工事を成功させている滝山薫平(小林薫)だったが、滝山は二の足を踏む。
しかし社長からまでもくどかれた末、黒四建設事務所次長に就くことを決意する。
滝山は、黒部川第四発電所の建設の中でも、
ダムサイト工事現場へ資材を運ぶために北アルプス山中を貫く
大町トンネル掘削工事を任されることとなる。
関西電力は「トンネルの熊谷」とトンネル掘削では輝かしい実績を上げている
熊谷組に大町トンネル工事を依頼する。
刑事一代
戦場のメロディー
戦場のメロディー
昭和26年(1951年)1月19日深夜──
元日本兵の一斉処刑が秘密裏に行われた。
家族はおろか、日本政府にも知らされることなく行われた極秘死刑。
異国の地の死刑台に虚しく響いた祖国に見捨てられた男たちの無念の叫び──
それは、焼け野原からの復興に沸く日本には届かなかった。
日中戦争からはじまり、太平洋戦争、そして全世界へと拡大した第二次世界大戦。
10年近くにも及んだ戦いについに敗れ、絶望の焦土と化した日本は、
数年の歳月を経て、戦中・終戦直後の飢餓から少しずつ抜け出そうとしていた。
あの忌まわしい戦争の記憶を遠い過去に押しやり、
人々は生きる希望をやっと取り戻しはじめていたのだ。
しかし渡辺はま子は、華やぎを取り戻した芸能界に身を置きつつも、
心の奥底に暗い影を落としていた戦争の傷跡から目を逸らすことが出来ずにいた。
子供の頃からの夢が叶い、歌手となったはま子を待ち受けていたのは戦争だった。
従軍歌手として歌を武器にして共に闘ったはま子は、
万歳三唱で戦地へと送り出した兵士たちを、忘れることができなかった。
その後悔の念から、はま子は戦後、歌手活動も顧みず、傷病兵収容所や巣鴨刑務所に慰問に訪れていた。
昭和26年(1951年)1月19日深夜──
元日本兵の一斉処刑が秘密裏に行われた。
家族はおろか、日本政府にも知らされることなく行われた極秘死刑。
異国の地の死刑台に虚しく響いた祖国に見捨てられた男たちの無念の叫び──
それは、焼け野原からの復興に沸く日本には届かなかった。
日中戦争からはじまり、太平洋戦争、そして全世界へと拡大した第二次世界大戦。
10年近くにも及んだ戦いについに敗れ、絶望の焦土と化した日本は、
数年の歳月を経て、戦中・終戦直後の飢餓から少しずつ抜け出そうとしていた。
あの忌まわしい戦争の記憶を遠い過去に押しやり、
人々は生きる希望をやっと取り戻しはじめていたのだ。
しかし渡辺はま子は、華やぎを取り戻した芸能界に身を置きつつも、
心の奥底に暗い影を落としていた戦争の傷跡から目を逸らすことが出来ずにいた。
子供の頃からの夢が叶い、歌手となったはま子を待ち受けていたのは戦争だった。
従軍歌手として歌を武器にして共に闘ったはま子は、
万歳三唱で戦地へと送り出した兵士たちを、忘れることができなかった。
その後悔の念から、はま子は戦後、歌手活動も顧みず、傷病兵収容所や巣鴨刑務所に慰問に訪れていた。
ジロチョー清水の次郎長
白旗の少女
さくら道
妻よ!松本サリン
落日燃える
落日燃える
2009年度作
昭和20年8月、日本は敗戦を迎える。
そして日本を占領した連合軍総司令部は、東条首相や東条内閣閣僚を中心に、
100名あまりの戦犯逮捕状を出した。そして、その中に、廣田の名前もあった。
「なんでお父様が戦争犯罪人なの?お父様は戦争を起こさないためにあんなに頑張ってきたんじゃない」
そんな登代子を静子は優しく抱きしめるのだった。
昭和21年1月15日、この日出頭する廣田を、家族が見送る。
「私は疚しいことは何もない。常に国のために命を賭してきた。しかし、一切の弁解もしない」
出頭の直前にあって、あまりにも廣田らしいその言葉に、家族はただ涙を流した。
その年の5月、広田は東条首相らとともに、A級戦犯として裁かれることとなる。
罪状認否で逡巡しながらも「無罪」と答えた廣田に安堵する家族たちだった。
だが、廣田は裁判で自身の言動に関し弁明は一切しなかった。
その後、面会室で会話をする廣田と静子。
懐かしい話に花が咲き、笑顔で振舞う静子だったが、
その表情には、何か決意めいたものが感じられた・・・
2009年度作
昭和20年8月、日本は敗戦を迎える。
そして日本を占領した連合軍総司令部は、東条首相や東条内閣閣僚を中心に、
100名あまりの戦犯逮捕状を出した。そして、その中に、廣田の名前もあった。
「なんでお父様が戦争犯罪人なの?お父様は戦争を起こさないためにあんなに頑張ってきたんじゃない」
そんな登代子を静子は優しく抱きしめるのだった。
昭和21年1月15日、この日出頭する廣田を、家族が見送る。
「私は疚しいことは何もない。常に国のために命を賭してきた。しかし、一切の弁解もしない」
出頭の直前にあって、あまりにも廣田らしいその言葉に、家族はただ涙を流した。
その年の5月、広田は東条首相らとともに、A級戦犯として裁かれることとなる。
罪状認否で逡巡しながらも「無罪」と答えた廣田に安堵する家族たちだった。
だが、廣田は裁判で自身の言動に関し弁明は一切しなかった。
その後、面会室で会話をする廣田と静子。
懐かしい話に花が咲き、笑顔で振舞う静子だったが、
その表情には、何か決意めいたものが感じられた・・・
東京大空襲
そうか、君はもういないのか
そうか、君はもういないのか
作家の城山三郎(田村正和)と妻の容子(富司純子)は海辺の街で穏やかな生活を送っていた。
息子の有一(田中哲司)一家は米国で仕事をしているが、
鎌倉に嫁いだ娘の紀子(檀れい)は何かといっては両親のもとにやってくる。
三郎と容子がここ茅ヶ崎に移り住んだのは、昭和32年の大晦日。
新人賞をもらったばかりの三郎は、「故郷の名古屋にいるとダメになる」と、
わざわざ見知らぬ土地にやってきたのだった。
夜逃げだと噂されながらも一家はこの地に馴染み、
三郎は次々と小説を発表し続けた。
そんなある日、平和な日々が破られる時がやってきた。
体調が思わしくないと精密検査を受けた結果、容子の身体からガンが発見された。
三郎はどんな方法でも試して欲しいと医師に望むが、
容子は手術や抗がん剤を拒み、通院して治療したいと主張。
作家の城山三郎(田村正和)と妻の容子(富司純子)は海辺の街で穏やかな生活を送っていた。
息子の有一(田中哲司)一家は米国で仕事をしているが、
鎌倉に嫁いだ娘の紀子(檀れい)は何かといっては両親のもとにやってくる。
三郎と容子がここ茅ヶ崎に移り住んだのは、昭和32年の大晦日。
新人賞をもらったばかりの三郎は、「故郷の名古屋にいるとダメになる」と、
わざわざ見知らぬ土地にやってきたのだった。
夜逃げだと噂されながらも一家はこの地に馴染み、
三郎は次々と小説を発表し続けた。
そんなある日、平和な日々が破られる時がやってきた。
体調が思わしくないと精密検査を受けた結果、容子の身体からガンが発見された。
三郎はどんな方法でも試して欲しいと医師に望むが、
容子は手術や抗がん剤を拒み、通院して治療したいと主張。