ラストゲーム 最後の早慶戦2008年作1943年、戦況が悪化する中、野球は敵性スポーツとみなされ、
六大学野球連盟は解散、リーグ戦も中止となってしまう。
その後、学生の徴兵猶予も停止され、学徒出陣がいよいよ間近に迫る。
出征前にもう一度試合がしたいという部員たちの願いを受け止めた
慶應義塾の小泉信三塾長は、早稲田大学の野球部顧問・飛田穂洲に早慶戦を申し入れる。
思いを同じくする飛田もこれを快く受けるが、早稲田大学総長の田中穂積は、
様々な問題点を考慮して早慶戦の実施を頑として認めようとはしなかった。
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